溢れるアイが空にハバタイテ

16卒ジャニヲタ就活生

つまみ食いのはずが本命に

※私のヲタク遍歴を端的に言ったものです

私はもともとごく出からのKAT-TUNヲタクだった。そんな私が今のグループを好きになったのは、メンバーの脱退がきっかけだった。私は脱退メンバーが好きだったわけではなかった。でも、KAT-TUNの音楽は彼がいるから成り立つと思っていた。皆今ほど歌にまとまりがなく、歌の上手かった彼が抜けることはKAT-TUNにとって痛手でしかないと思っていた。追い討ちをかけるように発売されたのはGoing。私はこの曲が苦手だ。無駄に明るいし、KAT-TUNが歌う必要のない曲調だと思ったからだ。それでも、まだKAT-TUNを諦めきれず、2010年のコンサートへ行った(公開リハも含め)でもやっぱり私の中に残ったのは違和感だけだった。無理をしているようにしか思えないと感じた。RealFaceをドームで聞いたときは正直ペンライトも振らずに泣いた。5人のKAT-TUNは応援できないと思った。だから私はGoing~楔までの曲をよく分かっていない。そんな私がなぜ、4人になってからはコンサートへ行くようになったかと言うと、無理していないように思えたからだ。正直5人の時、CHAINだとかハイフンだとかいう文化が生まれたことに対して虫酸が走るくらい気持ち悪いと思っていた。その筆頭がいなくなり、昔のKAT-TUNに戻ったように感じた。格好つけるときには格好をつけ、はしゃぐときにははしゃぐ。見ていても楽しい気分にさせてくれた。不満があるとすれば、コンサートの最後に手を繋がされること。もういいじゃないか、と思う。エイトでもあるまいし、と。もうKAT-TUNの未来を脅かすものはないのだから、あっさり「We are KAT-TUN」で終わればいいのにと思う。強制されることが苦手だ。今私が好きなグループでもそうだ。舞台の最後は必ずスタオベ。これって、本来は観た人が演者たちに対して素晴らしいものと感じたときに称賛するというような意味があると思う。なのに、毎回必ず内部舞台であると強制しているような風潮がある。(私は良いものを観たと思わない限りやらないが)それが苦痛だ。
この間観た舞台でも主演の女優があり得ないミスを何度も犯していた。それでも、皆揃ってスタオベ。場に流されることも大事なときはあるが、こちらがお金を払っているものに関してはなるべく思うがまま動く方が後悔はないのではないだろうか。


この話はおいといて、なぜ今のグループを応援しているかというと、上記の件も理由に含むが、いちばんの理由は勢いを感じたからだ。(といっても、デビューは2012年だし、私自身デビューはどうでもいいと思っている)私が彼らをちゃんと知ったのは2009年。KAT-TUNのバックについていたときに初めて生で彼らを観た。そのときには、好きな曲調の歌を歌っているなとしか思わなかった。しかし、KAT-TUNの遠征で地方へ行ったとき、たまたまアリーナAが当たり彼らが目の前でパフォーマンスしている姿を見ることになった。東京ドームで見ていたときの距離感とは異なり、息遣いもマイクを通さず聞こえるくらいだった。さらに感心したことはサービス精神。ジュニアだったし当たり前なのかもしれないが、そこまでするのかと思うくらい様々ことに応え、働いていた。その姿が格好よかった。彼らは舞台にも出演していて、たまたま私が観に行った回が私の好きな彼がローテーションで前説をする回だった。そのとき思ったことと言えば、よくしゃべるなということと、顔に似合わずウケを取りに行きたがるのだなということ。あと、その舞台のメインの一人だった手越祐也の歌う恋のABOのときのバックにつく彼の妖艶さ。妖艶と言っていいか分からないが、そのときの彼が忘れられず、闇写で写り込みを探して買ったし、某動画サイトの密録を見つけたときには興奮して眠れなかったくらいだ。今思えば、もう既に彼にハマっていたのだろう。Wキャストの舞台、内部舞台を経て、2010年初の単独コンサート。ちょうど、KAT-TUNのいざこざもあり私は彼にぞっこんになっていた。現場の多さには驚嘆していたが、彼らを追いかけることが楽しくて仕方なかった。その頃は。


あれから5年経ち、思うことと言えば未だに現場が多いということ。だから、あまり感動がない。今回に至っては外部の再演。何処をどう評価して再演に至ったのか知りたかったくらいだ。彼を追いかけるにあたって懐は厳しいように思うときもあるが身を滅ぼすほどではない。しかし、新鮮味がほしいのだ。かといって、他のグループに特に魅力も感じないから浮気しようがない。だから私はミーハーになり、様々な演目に足を運ぶことで目を肥やすことに勤しんでいる。